2014年、初めてのパール富士で出会ったベテランカメラマンの方が急逝されました。最近は御一緒出来無かったものの、その精力的な活動にはいつも敬服していました。富士山の写真に関して沢山の事を教えて頂き、一緒に多くの撮影に同行出来たことが自分の大事な財産です。今は、心よりご冥福をお祈りしております。 小望月(コモチヅキ)星落ちたりの訃報あり (撮影行の途次、10月1日逝去) |
1日:中華人民共和国、1949年10月1日成立。仲秋の名月
中国は世界第二位の経済大国、強権支配で世界制覇を目指すような動きは周囲を不安にします。共産主義なのに秦の始皇帝のようです。米国、ロシアにも似たような皇帝がいます。日本も民主国家と言いながら明治以降の古い体質が蠢き国民主権は遠のいています。
神集いこの世正せと神無月(我ら庶民は、やはり神頼みしかない。世界の先行きに暗雲)
2日:満月、(※Tears in Heven)
朝のラジオで流れた曲は、以前タイトルが分からず気になっていた曲。最初聞いた時は女性ボーカルでHevenしか聞き取れず、宗教関連の曲かなと思っていた。そのTears in Hevenがエリック・クラプトンの歌だと知り、YouTubeで歌詞/訳詞を見て、幼い子供を亡くしたときの想いも理解できた。昔の有名ロックバンドメンバーという程度の知識しか無かったエリッククラプトンが、こんなに優しい声と雰囲気のある曲を作っていた事を知らず、でも無知でいたお陰で、今知る喜びを味わえて独り微笑んでいる。
満月や天上の子に捧ぐ詩(ウタ) ※4歳半で転落死した息子、コナー君に捧げる曲。
3日:<通夜>
ドイツ連邦共和国、1949年、米英仏が承認。1990年ドイツ民主共和国を吸収統一。
ドイツも過去にはヒットラーという指導者を選びヨーロッパ各国を恐怖に叩き込んだ。戦後は深い反省と謝罪を実施しEUの盟主となっている。日本は米国の傘に守られ西側経済圏で一旦世界第二位の経済力を築いたが、その過程で大戦への深い反省、国民や近隣国への謝罪は忘れ去られ、過去の経済力だけを取り戻すかのような政権運営が続いている。
駐車場黒服集う通夜の秋
4日:<告別式>般若心経:宝永地震
旧暦、宝永四年十月四日(1707年10月28日)M8.6と推測される江戸時代最大の地震。
遠州灘から四国にかけて発生。死者5000人以上、負傷者1300人以上の被害があった。
日本の宗教は仏教だけでは無いがやはり生活の中で、沢山の人々の祈りとして、お経は有ると思う。田舎の法事でナモアミダンブと近所の人が唱和する声は、今も忘れない。
秋の日に般若心経唱和する
(宗派は分らないが、告別式の長いお経の中で唯一、般若心経の部分は唱和出来た。)
5日:達磨忌:インドより中国に禅宗をつたえた、達磨大師。10月5日毒殺される。
(今は昔の話) 田舎で同じ敷地にあった小学校から中学になったとき、部活を何にするか,迷っていた。最初、同級生と少し興味があった卓球部をのぞきに行った。すると当時の部長は女性で、我々がボソボソと入部希望と告げると、運動の服装は?と聞かれ持っていないと告げると、じゃあズボンを脱いでパンツ一丁でやりなさい!と言われた。元々運動音痴で気弱だった自分は驚いて逃げだした。結局運動部というのは、恐ろしい奴らの集まりだと理解しブラスバンドを選んだ。その後、高校までブラスバンドだったが,高校では入学前年に甲子園に出た勢いから野球部の試合には、くそ暑い中を狩り出され汗だくで演奏させられた。暫く、野球も大嫌いだった。今、テレビのスポーツ中継は結構見ている。運動しなかったので体力には自信無く、歩けなくならない様に時々ジムで自転車を漕いでいる。
身に滲むや因果応報ジムの秋
6日:2020年10月6日、火星が最接近。赤く光る星(表面が酸化鉄)南の空に出る。
秋夜更 永久(トワ)の周期や赤き星(2年2ヶ月ぶりに近づく。)精一杯頑張っても赤いポチだ。
地球の公転軌道(太陽をまわる軌道)は円形、火星は楕円形。このため接近するとのこと。
緋連雀(ヒレンジャク):東南シベリアから秋、日本に渡来する渡り鳥。
過去に二回連雀を見たことがある。しかしいずれも2月から3月頃。冬鳥で日本に越冬しに来るらしいが関東に巡って来るのはその頃なのかも知れない。山中湖の湖畔にあるヤドリギ、その実を啄んでいた。尾の先と羽の一部が赤い緋連雀と黄色い黄連雀がいる。
ぷっくらとした体型と隈取ったような目の周りの模様が、睨む様に見えるが可愛い鳥だ。
7日:推理小説、エドガーアランポーの忌日 ※米国、ボストン出身。近代推理小説の祖。
骨密度 血液検査秋の日よ(年一回の検査、去年忘れたが問題なし。もう不要かな?)
家のベランダで赤い火星の撮影に再チャレンジしたが、遠すぎる。天体望遠鏡が欲しくなる。撮影を一旦止めて、暫く時間をおき、空を見上げたら雲の合間に月が出ていた。
(彼岸花)
秋になると田圃の脇に赤い花が群れるように咲いていた彼岸花。思わず手折ろうとすると母親に「かぶれるから止めな!」と制止されたことを思い出す。トカゲやナメクジなども邪魔なら手で掴み、平気でゴミのように放り投げる母親が気にするくらいだから、触らんとこう,と思い綺麗な花には毒がある、という事かと勝手に解釈していた。それが彼岸花だった。今見かける街路の彼岸花も,特に咲き始めは綺麗な色を見せる。子供の頃みた田圃の畦に密集し、まるで赤い絨毯のようだった圧倒的な美しさは、もう身近では見られない。
8日:寒露、二十四節気のひとつ:(台風14号の影響で雨模様。)
秋雨や爪先濡らす歯医者二度(厄介な雨だが行くしか無い、濡れた爪先が冷たい)
この日は午前中の予約で無事済んだのに、忘れ物をし午後も歯科に出かける羽目に。
顎の痛みはだいぶ和らいできたが、確認すると多分一過性のものでは、と言われそういうことにした。多分,乳歯を気遣い噛み合わせが偏ったこともあるよう、人の体は微妙だ。
9日:2020年ノーベル平和賞、World Food Programme(WFP)受賞
秋はこぶ颱風の風反時計
(台風の渦は反時計方向廻り、海側を過ぎる時、大陸側の秋の空気を引き込み寒くなった)
この猫は公園の草原にいた、目つきが悪いなあと思っていたら,明るい戸外では猫の目は細くなる。野原にいたけど飼い主がいなければ野良猫、野猫とは言わない。何故?語源を確認すると、野良:とはそのあたりの、という意味があるよう。野は野生の意味合いもあるのでは、とも記載あり。野良猫はそこらの野原で野生の自然な暮らしの猫、と言うことか。
ヤマガラ(山雀)よく見かける鳥で人をあまり恐れません。以前は飼われて神社でお神籤を持ってくるとか、芸を披露したりもしたようです。今は野鳥を飼うのは禁止されています。
10日:十日夜、この夜、田の神が山へ帰る。(台風が接近したが、上陸は無かった。)
(骨密度)救急車秋空見上げキンコンカン(踏切のわきで、ただ警告音を聞いていた。)
数年前、それは突然の衝撃だった。開かずの踏切とも呼ばれる小さな踏切、やっと開きこっちと向こうから皆動き出す。まだ渡りきらないうちにカンカンカンと鳴りだし、皆慌てて渡ろうとする。電車運行の時間帯で間が悪いと遭遇する、連れが抜けようと急ぎ,反対からきていた男性がよける動作を取ったら、何と彼が押していた自転車の前輪が線路の間に挟まって、抜けない!!キンコンカンの音が大きくなった。
慌てる男性、一寸責任を感じ、自分がその若い大学生の自転車を掴み必死で持ち上げようと渾身の力を振り絞った次の瞬間「ボクッ」と鈍い音がして腰が崩れ立てなくなった。非常ボタンを押して貰い周囲に助けられて踏切の外へ。腰の骨が圧迫骨折してしまっていた。自転車は結局,持ち主が何とか外して事なきを得た。悔し恥ずかし「骨粗鬆症」が判明した日だった。救急搬送、入院治療を経て、今は薬のお陰で少しずつ改善している。
11日:林檎、苹果:昭和20年、リンゴの唄記念日、並木路子
並木路子氏は良く知らないが、林檎は和種の小粒なリンゴの総称で中国経由の大きな西洋リンゴが苹果(ヒョウカ)だとか。今、近くのお店で見る表記は林檎が殆どだけど。
騒ぐ声台風逸れて負け惜しみ
TVの天気予報、台風の備えを強調したが影響無く、でも油断は禁物などと負け惜しみか。
12日:芭蕉忌、時雨忌。元禄七年(1694年)陰暦十月十二日、五十一歳終焉。
芭蕉:旅に病んで夢は枯野をかけ巡る(口述で伝えた最後の句だが、辞世の句では無い。)
(写)アカボシゴマダラという蝶だと思うが羽後部の赤い斑点は交尾のためか切れたようになっている。この蝶は魚のブラックバスと同じ様に特定外来生物で,固有種のオオムラサキなどに悪影響を与えるらしい。どうやら神奈川で人為的に放され広がったらしい、残念。
1998年に藤沢市辻堂で確認されたとの記事があった。(朝日新聞デジタル、2010年10月)
手配され飛ぶゴマダラよ花野原(蝶にも魚にも何の罪も無い、人間の罪なのだが。)
13日:(十月十三日の夜明け)
午前6時前、雨戸を開けると最初の光が入ってくる。薄暗さの残る大気の中にまぶしく今朝がやって来た。あとどのくらいこんな朝を迎えられるのか、ふと切なさの中に閉じ込められる。生きているから他の死をみることになる、川を渡るように向こう岸に行く時は必ずやって来るがまだ実感は湧かない。バイオリンの音に草原を素足で踏みしめるような感触を覚えたり、サキソフォンの響きに腹の底の塊が震える感覚の中で目を閉じられたら、どんなに心地良い事か。最後の最後はどんな状態であっても脳内モルヒネ、ドーパミンが包み込んでくれるらしいが、それを確認することは出来ないし。
未だ寝ぼけたままだ、取りあえず顔を洗おう、今日は晴れそうだし何よりまだ生きている。
鵙日和(モズビヨリ) 行くは地獄か極楽か ※鵙日和(モズの声が引き締まる澄んだ秋の日)
14日:新橋-横浜;鉄道記念日、大正11年。世界標準の日:ISO,IEC
(未知との遭遇)玄関ドアに小さな黄色い物が付着していた。ゴミかと払い落としたが、どうも虫のようで気になり写真を撮る。あまり慌てて動く感じは無く,数ミリのサイズだがマクロで撮影。姿はテントウ虫のようだが、黄色い色は今まで見たことが無く、撮影後検索し多分これだという虫が、キイロテントウ虫、と言うそのまんまの名前。なんと、うどん粉病の菌だけを食べてくれる良い子のようだ。それにしても約3mmから5mm程度のサイズでは普段、見過ごす事が多いと思う。小さな虫の世界も本当に奥が深く面白い。目のような上の黒い丸はダミーで,その下側が本当の目のよう。
秋陰(シュウイン)にキイロテントウ菌を食べ ※秋陰:秋の曇った天気
15日:世界手洗いの日、2008年に制定。
今年は国際NGOウオータエイドジャパンが手洗いキャンペーン実施中。世界では約30億人!!が石鹸と水を使った手洗いが出来ないそうです。たまたま、15日が何の日か検索していて知りました。コロナ禍の今、世界の惨状が実感を持って感じられる数字です。
(言葉:カタカナ語)リテラシー:Literacy、読み書きの能力、読解力、特定分野の知識
最近良く耳にする単語、Literacy(読解力)は、特定分野、例えばコンピュータ関連の知識があり説明できること,などの意味で使われるよう。このカタカナ語の氾濫、特に政治家やマスコミ/企業のお偉方が話しに挟むカタカナ語は言葉での誤魔化し/差別ではと感じる。
聞く側は日本語で理解しているのに、いきなり知らない言葉Literacy等にその意味を考え始める。その瞬間、次の言葉は聞こえない。その間に話は進んでおり結果、全体が理解出来ない、または興味を無くす。これを意図的にやる場合も多く例えば某都知事の会見は典型だ。
このように、カタカナ語には話し手の知識をひけらかす効果と聞き手の正しい判断を阻害し、イメージの破片だけを残し丸め込む効果が見込まれている。だから中身が無い人間ほど多用する。どうせなら、カタカナ語では無く全部英語で喋ってパネルに日本語字幕を出す方式にして貰いたい。多分、カタカナ語の名手の言葉は英語には変換できない、発音が違う場合が多いから。言葉も伝統だ、普通の日本語を大事にして欲しい。
本当に月日が過ぎるのは早い、いきなり起きた出来事にアタフタしているうちに、あるいはいつもと同じ色の日々に飽きていても、気づくと過去は遠くに行っている。最近、特に記憶が消える速度が速く、生活にも支障が出ているのではと心配になる。でも、必要なことは覚えているようだから、まあまだ何とかなるのではと強がったりもする。
外へ出てふと空を見上げたら青い空と白い雲が綺麗に見えた。何だか嬉しくなる瞬間だ、すこし背筋も伸びる。 今はこれでいいかな?エナガに聞こう。