雨模様稲穂膨らむ文月なり
普通に「文月:ふみづき」と読むけど「ふづき」が元々の読みらしい。収穫が近づくにつれて稲穂が膨らむことから「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくむづき)」が転じて「文月(ふづき)」になったという説、稲穂の膨らみが見られる月であることから「穂見月(ほみづき)」が転じたという説などがあるそうです。この国はみずみずしい稲穂、瑞穂の国です。
<夏:妖怪の季節>小さいときの記憶、姉や母が家の中を掃除をしていて、不思議なガラスの筒を縁側に並べていた。それは何なのかと聞くと「ランプのホヤ」と言われた記憶がある。もう使ってはいなかったが、電気が無い時代のランプは貴重な灯りだった訳だ。(ホヤ=火屋、火舎。)きっと昔の夜は暗く深く、不気味だけど、夏の夜は暑さも和らぎ、お盆などもあり、あの世からの霊魂をもっと近くに感じていたでしょう。祖先の霊だけでなく、縁者の絶えた無縁仏や、恨みを抱いた怨霊も帰ってくると考えられました。そんな中で生れた妖怪達、水木しげるさんを思い出します。
7月28日:夏本番冷や汗引かぬ政治かな
半藤一利氏の昭和史に、日本の現代史は明治維新以降40年周期で成功と破滅を繰り返している、とありました。今この国は滅びモードの40年の中で、それに相応しい政治リーダー達が蠢ウゴメいている。感染者急増で記者から「オリンピックは大丈夫?」の質問に、菅総理、人流は減っているので問題ない、と実際は増えているのに、根拠のない回答で押し切る。とにかく強行開催のオリンピックの中、感染爆発が働き盛り世代を中心に起こっている。
なぜ、こんな政治がまかり通るのか?という疑問から何かヒントが無いかと、半藤一利氏の昭和史を読んでみました。先に戦後編を買って、その後戦前編も買いましたが、まだ読めていません。読書感想文のつもりでこの国の現代史、昭和史を基に、まとめてみました。
<戦前、明治から昭和へ>1926年-1945年。(戦前編は超大雑把です)
1853年(嘉永6年)黒船来航の12年後1865年を慶応元年とし、朝廷が日本開国を決定。これにより幕末の混乱を招き、1868年の明治維新で幕藩体制から立憲君主制へ。近代日本の建設スタート。その後、この国は約40年周期で国家運営の成功と失敗を繰り返していく。
《1》1868年慶応4年、10月23日を明治元年9月8日とし近代日本の国作りスタート。
当時、東南アジア諸国はヨーロッパやアメリカの植民地になっていた。例えばインド、ビルマ、シンガポールはイギリス領、香港もイギリスの租借地。インドネシアはオランダ領、フィリピンはアメリカ領、ベトナム、ラオス、カンボジアがフランス領。
日本はアフリカでの列強国間の紛争勃発なども重なり、植民地化を免れ、西欧化を急ぎ天皇制の富国強兵策で国力を増強していった。1894年~1895年;明治27~28年:日清戦争に勝利。当時の眠れる獅子、清国を撃破した事で国民は大興奮。1904年~05年:明治37~38年:日露戦争勝利。明治維新から約40年。近代国家を完成。<成功の40年>
《2》大正、昭和の時代:日清日露の戦争に勝利し満州国を建設。うぬぼれた日本は世界中を相手にした戦争へ突き進み、父祖が築き上げた国を滅ぼす道を選んでしまいます。
昭和14年「ノモンハン事件」ソ連領モンゴルと満州国の国境付近で起こされた日ソの武力衝突。強大な軍事力、最新装備のソ連軍に対し「根拠の無い自信、古い装備、白兵戦」で戦った結果、4ヶ月の戦闘で壊滅的な敗戦になります。
しかもこの時の責任者2人は、後に本部に栄転、太平洋戦争での南方戦線を主張、指揮し、同じ間違いを起こします。二人だけでは無いのですが、白兵戦や精神論優先で多くの日本兵士を死に追い込んだ元凶達です。これは今と通底する指導者の伝統だったようです。
1941年、昭和16年12月12日、太平洋戦争開戦。短期決戦で勝利する目算は物量に勝る米国に通じず。最後は無謀な特攻などでもがくも1945年、広島、長崎への原爆投下を招き、敗戦。300万~400万の人が犠牲に、富国強兵策の敗北です。<破滅の40年>
《3》戦後史:<国家再生の40年>1945年-1989年<戦後史スタート、六つに分ける>
(3の1)1945年、昭和20年8月15日:太平洋戦争に敗北。昭和26年までアメリカの占領管理下。天皇制国家の崩壊、東京裁判。GHQの主導で新しい国の骨格:国民主権、象徴天皇、議会制民主主義、軍事力放棄、平和憲法、農地改革、財閥解体、民法改正。
吉田イズム:軍事は米国に任せ国内の経済に注力する。日米安保制定。冷戦激下昭和25年の朝鮮戦争、米国は日本を軍事拠点化したかった。再軍備を要求するダレス米国特使。吉田首相はこれを敢然と拒否、他の政治家では出来なかっただろう、と半藤さん。警察予備隊という軍隊の卵で米国を説得、基地提供を決める。昭和天皇はマッカーサーとの話の中で、地理的な理由と反中、反ソで沖縄を米軍の基地にすることを提言、また分割統治では無く米軍単独による領土保護を願った。昭和天皇の軍人としての発想か。この後、沖縄復帰後に訪問して、その事を沖縄県民に詫びたいとの思いは、実現せず。
(3の2)1952年、昭和27年、サンフランシスコ講和条約締結で新しい国作りスタート。ソ連とは未締結のまま。天皇の戦争責任論は昭和34年ミッチーブーム(民間からの美智子妃)で皇室が国民に好意的に受け取られる変化が起こりしぼんでいく。昭和29年鳩山内閣、戦前政治家の復活、再軍備と憲法改正を表明。昭和32年、右派強権の岸内閣につながる。「平和と民主主義」について右翼と左翼が全く違う考えで日常的に衝突、政治的に混乱。国を作るための重要課題「平和と民主主義」が意見の違いで揉めていくうちに、国民にとって中身が不鮮明になっていった。
そして活動は過激になっていき、昭和35年「60年安保」反対運動、過激な学生運動や極左活動により、国民から乖離して行きました。これは戦後日本の最大の不幸であったと半藤さん。この時期には①三島由紀夫氏が割腹で訴えた軍備を持つ天皇の国家②左翼が目指すアメリカ的資本主義から距離を置いた社会主義、さらに③経済第一で豊かな国を目指す④スイスのように静かで平和に暮らす社会、の選択肢があった中で、国民が60年安保の大衝突の後に支持したのが池田内閣が目指した③「軽武装、通商貿易国家」だったと言います。
(3の3)1961年:経済第一の時代。昭和36年から昭和40年。池田内閣の軽武装の経済第一、通商貿易国家、強兵無き富国。所得倍増計画。とにかく働こう!敗戦からの国家再建のため無思想の商人国家。世界のセールスマンとなっていきます。この反動として、お金やモノ優先で全てを判断する事に不満を抱く人も多く出てきます。1964年昭和39年:東京オリンピック、新幹線。敗戦から復興した日本を世界にアピール。
(3の4)1966年:昭和41年から1972年:昭和47年。経済の成長で自信を取り戻した。
1970年、大阪万博。1972年:昭和47年、沖縄返還。戦後日本が終わる。
<現代の日本史が始まる>
1972年、田中内閣:日本列島改造論。9月、日中国交正常化に調印。
(3の5)1973年:昭和48年から1982年:昭和57年。
価値観の見直し。9年間のベトナム戦争の終結。二度のオイルショック。1973年、第四次中東戦争、イスラエルとアラブの戦争。原油の高騰を機会に価値観の変容。安い原油だよりの鉄鋼や石油産業から自動車、エレクトロニクス産業への転換。1974年、コンビニのスタート、贅沢に走らず日々の生活を見直す。1979年イラン、ホメイニ師、原油高騰、二度目のオイルショックを省エネで凌ぐ。高度経済成長から安定成長へ。
(3の6)1985年:昭和58年から1992年:昭和63年。昭和の終焉。世界第二位の経済大国、官僚統制システム。国が目標を決めて経済をリード。<終戦から40年、復興の40年。>
経済復興を遂げた日本のスタイルは「官僚統制システム」と半藤氏は書きます。国の経済運営を有能な官僚が決めアメとムチを使い決める。実はこれは戦前、昭和14年1939年の国家総動員体制と同じだと。官僚がデザインし具体的な政策を国会に持って行き、国会で法案とする。決して強権一方的では無く、官僚により予算も作られ誘導すると言うやり方。高度経済成長の時代には上手く機能したこの方法は、昭和が終わるときにピークに達します。戦前は結局、軍部の突出で悲惨な戦争に突入してしまいました。
《4》終戦から約40年後の1991年~1993年、バブル経済の崩壊。失われた20年が始まる。1990年、平成2年:ソ連崩壊。冷戦終結、これにより日本経済が崩壊。昭和末期の政官馴れ合いは土地ブームと株価のもたれ合いで作り上げており、正に経済がバブルのごとくはじけてしまった。「官僚統制システム」が機能しなくなっていた。
1998年、経済企画庁(現、内閣府)のミニ経済白書:バブル崩壊の十年、不良債権の処理の遅れは「起きると困ることは起きないことにする」という意識が官民双方に強かった結果。また敗北(失敗)を素直に認めないことが更なる敗北、失敗の原因になった。との分析!まさに戦前のノモンハン事件や現在のコロナ対応と重なる、幻想的で独善、泥縄的な思考だ。
2世3世の政治家や官僚は財界とも癒着し、まるで戦前の日清日露の勝利でうぬぼれ、
世界を相手に無謀な戦争を起こし国を滅ぼした、政治家や軍人と同じ様になっていく。
この国をどうするかの国家目標も示せず、戦後築いてきた民主主義の仕組みも骨抜きにしていきます。
2011年3月11日、東日本大震災、福島第一原発の事故、メルトダウン。民主党政権
2012年12月、第二次安倍政権。憲法改正、再軍備を目指した鳩山、岸の路線継承。アベノミクス新自由主義による格差拡大、非正規雇用の増大で社会がすさみ富裕層や大企業が潤った。日本経済は長い低迷期にはいる。そして2018年令和にかわり、中国が経済大国世界2位に。2020年8月安陪氏退陣。後継に幹事長だった菅総理が誕生。
2020年、中国武漢で発生した新型コロナウイルスが世界中に広がる、パンデミック。
未だ出口は見えない中で、一年延期された二度目の東京オリンピック、ほぼ無観客で開催。福島の復興をテーマに掲げながら、未だ避難した人達への支援、汚染水の海洋投棄は無視。1964年の東京オリンピックは、敗戦からの復興を遂げた自信から、ほとんどの国民が祝う行事だったが、今回は改めて考えても何のために、という大義が見えない。
安陪-菅政権の懐古的な強権政治が、このパンデミックでの感染防止に機能しないことが暴かれ、多くの国民が望まないオリンピック強行開催は、今後の日本に大きな分断や傷を残しそうです。見えないウイルスと戦う中、わざわざ世界から病原菌を運んでもらい、国内で広げること、さらに変異したウイルスを世界に拡散する役割を担うかもしれない。ウイルス対策に、今後どれだけの税金が使われ、この後追加徴収されるのか、どれだけの人が犠牲になり、生活を壊されていくのか、今後の被害状況も予測ができない。正に滅びの時代にいる私たち。1991年の40年後になる2030年には何が起こるのか。
半藤さんは2021年令和3年1月に90歳で亡くなられました。本のあとがきで、これからの日本に必要なことを上げています。
1:無私、真面目さを取り戻す、日本人皆が私を捨てて国を新しく作るために努力と知恵を絞れるか。その覚悟を固められるか。
2:小さな箱から出る、自分達の組織だけを守る、組織の倫理や慣習に従う、そんな小さな世界から抜ける勇気を持てるか。
3:大局的な展望能力、物事を地球規模で展望する力と学ぶ心。
4:他人に頼らず世界に通用する知識や情報をもてるか。
5:悠然たる風格をもてるか。吉田松陰の言葉「君は功をなせ、われは大事を成す」を引用。
現在の日本に足りないのはこういう物で決して軍事力では無い、と言います。
時代を見据えた言葉に自分なりに考えます。一人では何も出来ないけど、1:は皆に宛てて書かれています。自分の考えで政治を選ぶことを一つの手段にしようと思いました。
世の中の出来事になぜこんな事が起こるのか、特に政治の世界は何が起きているかわからず、学校では習った記憶がない昭和史に興味を持ちました。購入した昭和史1926-1945戦前編を、また少しずつ読もうと思います。