つぶやくdorotanuki

小さい穴から見える外界の様、過ぎる時代への雑感をつぶやく

2022年5月(令和四年五月)皐月

マスク取り深呼吸する五月かな 5月5日の立夏の後は夏の季語になるらしい。

今頃はヒバリ鳴く空麦の秋 三年ぶりに帰省することになった。五月、ウクライナほどではないが金色の麦畑が浮かぶ。今年種まきは出来たのかウクライナ?早く平和が戻る事を祈る。

5月5日(木) 里山公園に野鳥の姿を探しに行く。

小綬鶏の声賑やかに子供の日 公園に親子連れが集まって来た。コジュケイも大きな声で鳴き子供らを迎えていた。子供の時にはチョットコイ!と鳴く声が名前だと信じていた鳥。

数年前ここで見たときは草むらを子供連れで歩く姿、今回は木に止まった姿を初めて見た。

カイツブリ田舎で呼ぶ名はキャァツグロ 

鳥の図鑑には載らない田舎の呼名。俳句では冬の季語。カイツブリの語源は水を搔く=カイ潜る=ツブリや、頭が貝のようで=カイの頭ツムリ、などの説がある。田舎では貝をキャア、と発音。ツグロズグロ=頭かな?貝頭をキャアツグロと呼んだのだろうか?推測だけど。

初撮りの飛び立つ姿四十雀シジュウカラ 四十雀は夏の季語。同行の撮影者満足の一枚らしい。

こちらは飛び立つ前の屈んだ姿を捕らえていた。

子供らの声に揺られる若葉かな  公園には子供達の元気な声が響き渡っていた。

5月7日(土) 東京都現代美術館江東区)から大塚へ

円谷プロの特撮監督、井上泰幸氏の生誕100年展示の鑑賞で初めて都現代美術館を訪ねた。

吊り下げられた怪獣ラドンとミニチュアの昭和風景、映画で見ると迫力があったのだろう。

安堵してラドン眺める夏の空

ラドンが現れたのは福岡のデパートの上。懐かしい昭和の風景が再現されていた。

ミニチュアという実物、CGとは違う手作りの良さ、物作りのこだわりを感じさせてくれる。

美術館から久々に大塚のお寺に家族で墓参り、古いお寺なんだろう、庭には古代蓮がある。

古代蓮 墓石越しの摩天楼

現代的な高層ビルと昔ながらのお寺のギャップが東京の奥深さ、混沌を感じさせる。古代蓮はまだ咲く時期ではなかった。少し遠くを見上げるとサンシャインビル等が見えた。

赤い薔薇モクモク伸びて雲の上

帰り道、一斉に咲いた5月のバラ、下から見上げると、どこまでも伸びて行きそうな勢い。

5月12日(木)お寺と花 人出が減る連休後、鎌倉に牡丹を見に行ったが、少し遅れた感じ。

下駄の音の幽かカスカに響く牡丹寺 修行僧のようなお坊さんが寺の中や外を歩いていた。

ツツジの生け垣、葉に埋もれる様に、ぽつんと一輪花が咲いていた。

御仏の鎮座されるや牡丹花 さほど仏教に熱心では無いが、牡丹を見ると仏様を想う。

薄紅の牡丹静かな昼下がり

寺五月赤を広げし赤い花

咲き遅れ牡丹の蕾今まさに

柏槙1(ヒノキ科、ビャクシン和名はイブキ)枯れている?その姿は恐竜のようだ。

柏槙2

柏槙3 :根元はまだまだ力に溢れた姿を見せている。

春、茶色い花粉袋をびっしり付けるのがマツ科の雄花だとか。その先が雌花らしい。

薄桃色の綺麗な花たち。

煙立つ彼岸と此岸ぼうたんや ※ぼうたん=牡丹。お寺に来ると線香を立てたくなる。

線香の先、本堂で手を合わせる人達がボンヤリ見える。

建長寺の境内で見かけた一風変わった花。名前を調べてた。黄心樹:おがたま;をがたま。モクレン科常緑樹。乳白色の固そうな殻が花びら。または唐種招霊:カラタネオガタマ。中国南部原産、この写真の花がどちらかは不明。神の依代として神前に供えたことからついた名前らしい。バナナの様な芳香がするらしいが、匂いは殆ど感じなかった。

乳色のヲガタマの花山際に

顔の大きい本尊の上にあった天蓋のような物。天女達?が音曲を奏でている姿だろうか。

天蓋に永久トワのカノンを奏でおり カノン(canon)は同じ旋律を繰り返す形式の音楽。

小さなお地蔵さん、GW前には付けていなかった赤いエプロンが目立ち、気がついた。

そして出口に向かう参詣者達。

帰省: 5月16日(月)~5月20日(金)

外は雨模様。やっと手荷物を預け終え搭乗口にたどり着いた。搭乗時にまた手間取ったが何とか、乗り込む。飛行機が予約時とは違う機体になっていた、旅行者数が増えたためかな。

3年ぶりの帰省。到着した飛行場で旧友と再会。変わらず元気そうな姿に嬉しくなった。

久しぶりで緊張しつつレンタカーで高速道路を走り、何とか無事に目的地に着き一安心。

高速から見た周囲の山は、今まさに若葉が盛り上がり「山若葉:夏の季語」の姿

兄の家に泊まる。裏手に小川がありこの時期、ホタルが出ていた。写真は失敗作。

この草に覆われた、小さな流れに沢山のホタルが舞っていた。

5月17日(火)

翌日、実家に向かう途中に以前も訪ねたサギのねぐらに立ち寄った。有明海沿いの小さな突端にアオサギ、白鷺と以前はゴイサギも営巣していたが今回はゴイサギは居なかった。そこには見事な栴檀センダンの花も咲いていた。

カメラを持って、足を踏み入れるとサギたちが警戒して空を舞いだす。

巣もあちこちにあり、中では少し育ったケムジャクラの雛が動いていた。

ふと、気づくと妙な姿のサギが見えた。兄に教えて貰ったのはサギたちが増えすぎて困った部分があり?テグスのような物を仕掛け駆除している!とのこと。これには驚いた、自分は部外者だから勝手なことを言うが、殺されたサギの姿はウクライナで惨殺された人々と同じに感じる。死んでぶら下がっている近くでは雛が育っていた。やり切れない残酷さだ。

アオサギの親子

栴檀の花、弔いの花

三年ぶりの田舎に着く。この後、先祖供養で地元のお寺に親族が集まった。途中、一緒に読経をする部分もあった。自分含め、皆の歳を重ねた姿に懐かしさと、ほろ苦さを感じる。

庭の銀木犀が、また大きくなっていた。

5月18日(水)、今回も有明海を締め切った諫早干拓地にヨシキリを見に行こうと兄弟で出掛ける。干拓地の麦畑は刈り入れが進んでいた。いつもより少し時期が遅く葦の茎も枯れた感じでギョギョシギョギョシの声は響いているが、ヨシキリがあまり姿を見せてくれない。

暫く粘っていたらやっと出てきたヨシキリ達、多分コヨシキリだと思う。

葦の穂も枯れた感じで、鳥が止まれるかなあ?と心配したが問題はなかった。

葦原の近くで鳴いていたヒバリ。麦畑とヒバリ、空高くヒバリが鳴き黄金の麦の穂波が光る。

締めきられた池と農地を分ける堤防の上、真っ直ぐな道を走るランナー。

最近、この干拓で1度決定していた開門調査を改めて否定する判決が出された。海を締切ってしまうと、海流により自然に暖かく調整されていた冬の気温が下がり、周囲の農地を冷やしてしまう。やむなく干拓農家は冷害対策でビニールハウス栽培が増加しているらしい。

農家も余分な経費増となり、干拓自体に反対する農家も増えていた中で、国が開門を否定すると言う対応に出て、地元では怒りが増幅している。無理な開発が地域を壊した事例だ。

<珍しく対岸の島原か?大牟田方面?が見えた有明海。>

干拓から戻る途中に古墳の看板があり、寄ってみた。

有明海の周囲には結構、古墳が点在している。内海の静かな条件が昔の交易などに有利だったのか、今は過疎の土地だが大昔から人が暮らしていた様だ。古墳の中から見た海。

5月19日(木)天山へ

次の日は天山へ野鳥を見に行くことにした。1,000m級の山だが車でも登れる。ゆっくり登っていると野鳥の声が賑やかに聞こえていた。8合目くらいで車を止め少し歩いてみる。

賑やかに囀る鳥の正体はホオジロだった。チュピチュピチュピの鳴き声を「一筆啓上仕り候」と聞きなした昔の人は想像力が豊かだなあ。高山の木の天辺で鳴く声と姿は綺麗だった。

アオスジアゲハも久しぶりに見た。

やはり別の木の天辺からもホオジロの綺麗な声。

高山植物、これは金蘭と言う名前の花だと教えて貰う。

こちらは名前が良く分からない。

飛んでいったアオスジアゲハ

薊にやって来たシジミ

声しか聞けなかったが、多分鶯の後ろ姿。地味な色で枝の向こうに居るようだ?見えるかな。

山中の池の脇に咲いていたツツジ。黒揚羽を追いかけていたらツツジの花が咲いていた。

今回山に登り降りするのは、車を使ったが山道をゆっくり走っていると、ヤマドリの若鶏が数羽道路に出てきた。初めて見るヤマドリ、コジュケイやキジとも違う綺麗な鳥で、いつかは見たかった。それなのに、肝心のカメラをバッグにしまっており撮影が出来なかった。兄のカメラで慌てて撮ったが、数枚撮った中で一枚だけが何とか見られる写真だったらしい。

5月20日(金)帰宅

久しぶりに古里に帰り、皆に会うことで変わった部分と変わらない部分を実感出来た。

自分自身もそう思われただろう。飛行機やレンタカーの移動、以前は問題なく出来た事がスムーズに実行出来なくなった事も身に沁みた。

でも、また機会があれば見逃したヤマドリにも会いたいし、いつか故郷に帰ろう。