つぶやくdorotanuki

小さい穴から見える外界の様、過ぎる時代への雑感をつぶやく

2024年(令和六年)2月

<2月:如月・衣更着(草木が更生:元の状態に戻るという意味)>

2月15日(木):以前、TV放映されどんな場所か興味があった「江ノ浦測候所」へ行く。朝九時過ぎに最寄り駅から「根府川駅」を目指す。生憎の曇り空だったが、東海道線小田原駅で乗り継ぎ二駅目の目的地に到着。目の前には相模湾が広がっていた。

降りたのは数人、無人駅だった。自分の田舎の駅も、今は無人駅になっている事を思い出す。

駅構内には「関東大震災の慰霊碑」があった。1923年:大正12年関東大震災発生時の列車事故により112人が犠牲になった。当時の駅舎や、到着した列車も2両を残し海中に没した。2024年の今、能登地震もあり101年前に起きた関東大震災が身近に思えて来る。

根府川駅で予約した目的地までのバスに乗り、狭い山道を揺られて「江ノ浦測候所」に到着。何で「測候所」なのかまだ良く分からないが、現代美術家が収集した多くの建造物などを配置して独自の世界観を展開している美術スペースのようです。

(参道)駐車場から左の参道を登ります。測候所は甘橘山(カンキツザン)の「榊サカキの森」を切り開いて整備された、との事です。参道を登り出すと、左手に石垣に組み込まれた顔が!!後で案内パンフを確認すると「18世紀の英国」の作品?らしい。この先を左に曲がり、まだまだ続く上り坂を登ります。

ここには石掘の蛙が居ますが?よく見ないと気付きません。木陰には灯籠も。

今度は枝の上に羽ばたくカラス?!でも動かない??ああ、これも作品!カアカア。

この曲がり角の灯籠は「宝珠型灯籠」と後で知る。何やら謂われが有る作品のようです。

見上げると、分厚い光学板ガラスを天井板に使った茶屋:休憩所が見えています。

振り返ると宝珠型灯籠。元は京都の石造り五輪塔宝珠に穴を開け灯籠に加工したとか。

復元された地元の「赤沢蜂巣観音」中には円空仏(江戸初期)を祀ってある。円空が彫った仏は顔半分ほどに蜂が巣を作り、人と蜂の合作だとか。この時は円空仏を知らず素通り。

登る途中で一息ついて見上げると、天に伸び屹立する木々が印象的だった。榊サカキの森?

これは大きな木に絡んだ小さな木?実の形がイチジクのようにも見えるけど?正体不明。いつものgoogleで検索するも判明せず。大木の根に被るように張り付いていた。

曲がり角の大きな岩の碑文は「Stone Age Cafe」石器時代の喫茶店?そろそろ頂上なのか?

なるほど、岩のテーブルと椅子の「Stone Age Cafe」だ。眼下に相模湾が見えてきた。

ここは小さな屋台のような喫茶店と岩のベンチ。但しオープンは日曜日のみ、この日はクローズ。でも飲食は可能らしい。分厚い板ガラスの屋根もあるし、雨になったら助かるかな。

(1)太陽観測:測候所。参道 明月門 夏至光遙拝、冬至光遙拝、春分秋分

この後、長方形のガラスで覆われたような待合棟へ。ロッカーやトイレがあり厚めのパンフレットと注意書きを貰い、よく読んで地図を見ながら行動するよう言われた。膨大な資料ですぐには読み切れないし、内容もすぐには理解出来ないが、取敢えず動き出す。すぐ近くにあった、やはり長方形のガラスで覆われた「夏至光遙拝ギャラリー」へ向かった。

TVでも紹介されていた、100メートルの長さで自然石の壁面とガラスで覆われている。先端は海側に突き出した形で、先端の展望部分は夏至の日の出の位置に合わせてあるらしい。

夏至の朝、この長方形の空間を光が通過していく。で、夏至は予約が一杯だろうなあ。外に出ると、相模湾の色が綺麗に見えた。

(明月門)鎌倉の明月院正門、室町時代に作られたが関東大震災で半壊、その後は移転を繰り返し根津美術館正門を経て江ノ浦測候所の正門として解体修理、再建されたとの事。

此所の塀には「木賊:トクサ張り」という、竹を使った伝統的工法が使われている。

(2)冬至光遙拝 

相模湾に面し密柑山が多い傾斜地に作った「江ノ浦測候所」、この日は菜の花が咲いていた。

チラリと見える円形の石組みは「野点ノダテ席」で冬至の朝には焚き火の場所になるらしい。冬至寒い朝に太陽を拝み、冷えた体を温める飲み物が供されるのだろうか?

海に突き出した「冬至の日の出」を観測する鉄の隧道。蜜柑畑に巨大な鉄管が横倒しになったような姿が異様に見える。

隧道の上部、海に向かった先端部、上に乗れるらしいが・・・怖くて自分は乗れなかった。右隣には光学ガラスを敷き詰めた舞台、「冬至の日の出」に合わせて能を演じるらしい。後方の観客席から見ると海に浮かんで見えるとのこと。

ムムム!

回廊の中から覗く相模湾冬至の日には海面の向こうから、朝日が昇るのだろう。

この先は立ち入り禁止のシンボル、石を縄で結んである。他の場所にも使われていた。

(3)斜面を下ると、榊の森を通り蜜柑畑の道と竹林に分かれ、各種の展示エリアがある。

菜の花畑の下には小さな社も見えた。「春日社」の名で奈良の春日堂を模写したものだとか。

菜の花と蜂。

向こうの斜面には、蜜柑畑も見えている。

下に降りると、以前の農具倉庫を「化石窟」として化石や古い農具を展示してあった。

植物の化石。ウミユリかな?化石は収集された本物。

近くをゴソゴソしていそうな。三葉虫かな?

これは小さな恐竜みたい?説明文が何処にあるのか良く分からない。

ガラスで囲まれた神社風の展示、中身は縄文後期の石の棒!見た目はドラムスティック。

(竹林のエリア)

竹林にあった「数理模型」双曲線関数?を模型化した。双曲線が無限で交わる?何の事??

そして石で作られた狸、焼き物で無いのは珍しいとか?ふんぞり返っていた。

片浦稲荷大明神、元は武蔵の国、渋谷村の神社らしい。今の渋谷からは想像もつかない。

坂を下ったエリアにあった茶室「雨聴天」の庭、小さな梅の赤い花が咲いていた

白い梅も

メジロが来たが、あっちを向いてしまった!

よしよし

白梅

暫く蜜柑畑のエリアを歩いていたらなんと、ジョウビタキの雄を発見!

枝先に移動したので慌ててレンズを交換する。

こちらはヒヨドリ、背景が綺麗だった。

もう一枚、蜜柑が欲しいのかな?見つめている。

そしてまた、ジョウビタキ

何だか土地柄なのか此所の鳥達はノンビリしているような雰囲気だった。こっちが撮影にアタフタしてもすぐに逃げる様子は無く「ゆっくりやりな」と諭されたようだった。

気がつくと薄暗くなって天気も雨交じりになってきた。午前中の予約だったので小雨の中、「石器時代のカフェ」に戻り昼食を食べ、参道を降りて帰りのバスに乗り込んだ。

改めてパンフレットを読み返すと、入館時に注意されたように「内容を理解して見る必要」があった事を痛感した。殆ど、何も考えず、何じゃこれ??という物見遊山になっていた。

それでも古来の太陽信仰など、当時の人々が自然や世界をどう捉えていたかを、各種の遺跡や古い建造物を自然の中に再構築し、表現しているように感じた。古代からの、私達の記憶の底にある「意識」に働きかけるかのように、冬至でのと同時の復活、そして夏至に光り輝く、太陽光の周期がヒトや生き物の暮らしに重要な事を考えさせてくれた。