5月、夏椿も咲き始めます。
5月1日(月)白無垢にニセアカシヤの針隠し。
近所の小さな緑地で見た白い花。名前を検索「ニセアカシア」別名「針ハリ槐エンジュ」鋭い棘が隠れているらしい。枯れて落ちた枝でも、うっかり触ると鋭い針で怪我をする事もあるらしい。在来樹木を駆逐するアメリカ原産の外来植物。でも蜂蜜を得る花でもあるらしい。
5月7日(日)電話口危篤の知らせ春嵐 田舎の兄より電話、姉危篤!すぐに来られるか?と言う連絡。パニック状態、突然の帰郷になった。5月は季節も良く連休も有り以前から帰郷の時期だったがこのところコロナも有り帰っていなかった。帰郷の手順がすぐ浮かばない。
5月8日(月)スマホだけ見つめる群の初夏の旅
飛行機の予約、レンタカーの予約、宿の予約など数年前には普通に出来た事が、慌てた事を割り引いてもすぐには纏まらない。これでは一人で行動が出来ないのでは無いかという不安が広がる。しかし、行くしか無い状況、雨の中を何とか羽田までヨタヨタとたどり着く。
福岡空港でレンタカーを借りる筈が、連絡が上手く行かず誰も居ない事務所で迎えを待つ。すると韓国からの旅行者、若い二人も何やら捜している様子。同じレンタカーのようで連絡する電話を教える。迎えが来て三人で離れた場所まで移動できたが韓国のアベック、どうやら所持する国際免許が欧米では使えるが日本は非加盟で車が借りられなかった模様。電車を使うと言う事で去って行った。そんなことが有るのか?
軽自動車を借りて兄の家に向かう。高速は左側を走りその後、姉の家に行き久々に集まった姉家族にも再会、懐かしい顔が並んだ。当日の見舞いには間に合わず翌日午後行くことに。
今回の宿の武雄温泉に行く。以前、一回泊まったことのある素泊まり温泉。古い建物だ。
実際の宿泊棟はまるで昔のアパートのようだが、温泉の建物は朱色の柱でレトロな感じ。
温泉の入り口にある楼門。大正四年完成、東京駅を設計した「辰野金吾」の設計。
5月9日(火)病院へ。病院は新しい建物、近くの山容は「山笑う」5月だった。
姉の状況は少し落ち着いてベッドに横たわっていた。こちらの声に反応してくれた。
思いがけず帰省した形になり、長兄の家の周囲を散策する。家の裏手に有る神社?の庭。
大きな楠、白い花がついていた。
何と、早くもホタルが出ているという脇を流れる小さな堀川。
16歳になっていた、メロディーは大分大人しくなっていた。夕方一緒に散歩に行く。
散歩道の脇に有った小さな牡丹。静かに咲いていた。
逆光の中、一人と一匹。ここは神社への参道でも有る、昔の流鏑馬の道だとか。
麦秋バクシュウが広がっている。空には雲雀が鳴いていた。
うねる麦畑、久々に見る景色。
もう一枚
緩い坂を昇った小高い場所にある、天使社という神社の入り口。
巨木が多い神社の境内だった。
これも
更に奥に鳥居と、その先にも社があった。
楠が葉を広げている。静かな場所だ。
鐘撞き堂
第二次大戦で拠出させられた鐘、戦後地域皆の力で復興したらしい。
明治の廃仏毀釈で頭部が破壊された石像。歴史の証人だな。
神社を一回りし帰り道。いつもの散歩コースらしい。
県に数棟残るだけの、茅葺き屋根の農家と言っていた。風景にしっくり溶け込んでいる。
一回りメロディーの散歩を終えて戻ってきた。
夜ホタル撮影に挑戦(1)。川沿いに緑色の優しい点滅が溢れていたが、上手く撮れない。
少しずつ設定を変えてはみるが、視力が落ちたせい?もあり効果が判定できない。
今夜はこれで終了し宿に戻ることにした。見回すとホタルが綺麗に光ってくれていた。
(姉を見舞った翌日)生家へ戻り次兄や妹とも再開。実家の石垣に野イチゴ、昔のままだ。
田舎の海岸、有明海。
ホタルに再挑戦2 少しは上達したかな?基本が良く分かっていないから、こんな物だ。
田舎の方がまだ水も綺麗でホタルも身近に楽しめる、羨ましいことだ。
5月11日(木)帰路につく。レンタカーの返却も何とか無事に終え振り出しに戻る感じ。
羽田で手荷物を待つ。この日空港上空に雷雲発生で荷下ろしが一時ストップ!待たされた。
行く時と帰りは雨、九州は晴れていたのに。今回は田舎との距離をより実感した。
距離だけでは無く、自分の対応力が大きく低下したことが今後の不安材料。
5月14日(日)姉死すと電話の声や夏椿 ※夏椿の花、日々落ちる。
この日は自分の誕生日。
二度の面会で、落ち着いてきたし二度目は酸素マスクを外していたので期待したが‥‥。
今は、ただただ冥福を祈りたい。