つぶやくdorotanuki

小さい穴から見える外界の様、過ぎる時代への雑感をつぶやく

2023年6月(令和五年六月)水無月

水な月⇒水の無かった田んぼに水を張ると言う意味。でも今は身の回りに田んぼが無い。水を張る田が減り大雨の水は溢れる!6月は大雨や洪水が予想される月、こんな地球を救うのは昔の農業の再生かも知れない?近所の庭で見かけたアジサイの花。ガクアジサイと覚えていたが、検索するとヤマアジサイと出る。まあ良いか。

葉っぱが大きい花は柏葉アジサイという名前らしい。葉っぱの形が確かに柏餅の葉っぱに似ている。

6月2日(金)から6月3日(土)にかけて激しい雨と線状降水帯の発生で西日本中心に大きな被害が出た。都市化した日本、気温上昇を招き大量の雨もただ流すだけの生活環境が、もしかしたら農業が主だった頃に比べると被害をより大きくしているのか、人類の発展が地球の環境を変え、そのしっぺ返しを受けているようだ。

6月7日(水)雨模様の天気が広がり、関東が梅雨入り。そうだ、まだ石油ファンヒーターを仕舞っていなかった。5月末に何の前触れも無く気がつくと高熱でダウン。体温計の表示が38℃を越え上昇した。正直、普段の自分は爬虫類の生まれ変わりかと思うくらい、低温の冷血動物(意味が違うか?)だと思っていたので高熱にまいりながら、取敢えず手元の葛根湯を飲むが熱は上がり続ける。え!初めてのコロナ感染か!!何度も打ったワクチンは何だったんだ!!熱に痛む体で「かかりつけ医」とやらに電話するが、患者に寄り添う対応など言葉だけで、公費補助が無くなったから有償で院外の駐車場で個人負担での抗体検査なら出来る、という。

気遣う提案とは感じず金をふんだくる話しか無いのが日本のコロナ対応の現実かあ!!と余計に熱が出るが、でも何も出来ず。家族が戻って確認したら抗体検査キットやコロナ治療にも使えるカロナールが家にあったので、自分で検査し陰性を確認。念のためカロナール2錠を飲み、葛根湯も気休めで飲む。このあと熱は4日~5日で落ち着いた。しかしそれ以降も体がだるい状態が続き、週に数回参加するジムのプログラムも暫く休む事にした。

8日後、かかりつけ医にいつもの服用薬を貰うための診察に行き、今回の発熱と医院の対応について不安を伝えるが、他の患者のためにも熱が高い状態では診察を断る旨の話で説得された。困ったときに役に立つかかりつけ医、というのはこちらの思い込みだった。結局、体力は落ちていき今後もコロナ以外でも寝込むことなどが増えるのかな?と不安な未来を想わせる出来事だった。ブツブツ言いつつ痛む体で、いつもより時間をかけ石油ファンヒーターを押し入れにドッコラショッとしまい込んだ、ヤレヤレ。 

花壇に咲き残っていた桔梗草

(道草)近所の道に生えている草、この時期は小さな花がついていたりするので撮ってみる。アメリカフウロ とんがった角状の突起物が目を引いた。注意してみると面白い姿だ。北アメリカ原産の外来種

オッタチカタバミ:名前の由来は分からない。よく見る草のひとつ、道路の端に固まっている。北アメリカ原産。

ニワゼキショウ:庭石菖、アヤメ科。小さな花で駐車場に生えていた。北アメリカ原産、明治時代に観賞用で広まった帰化植物のようです。小さすぎでスマホのカメラでは上手く撮れなかった。つい踏みつけてしまいそう。

知らないところで沢山の外来植物を含む小さな逞しい命が息づいている。でも身の回りが殆ど外来植物というのは何だか気持ちが落ち着かない。最近出来たマンション等の周りに植えてある草花も、子供の時、野原で見かけた草花とは大分違い、綺麗で派手な物が多い。TVやニュースで聞くリスキリングなど英単語の一人歩きも、外来植物も景観だけで無く日本という国の文化を浸食していくのでは無いかと、変な想いに囚われる。

姫緋扇:ヒメヒオウギ 南アフリカ原産、大正時代に日本に入ってきた。確かに和名が大正時代かな。

リスキリングは増えすぎたリスを殺しましょう!という国民運動かと思った。Reskilling:従来の学び直し、と訳するのは間違いらしい。今までと違う仕事に会わせて新しい知識をつけろ、という雇用者目線の意味合いのよう。再就職斡旋業者のCMもやたら目立つが、希望する全員にチャンスが回ると言う事ではないのが現実の世界。

クマシデの花穂、丸まった葉の根本に種がある、らしい。)

6月8日(木)久しぶりに映画を観る。「銀河鉄道の父」という映画でこの日が最終上映日だった。朝、久しぶりにネットでチケットを取った。データ更新が必要で手間取ったが、何とか時間に間に合い映画館へ。以前、入場券を出力した機械は無くなり、スマホに送られたバーコードを入場口でタッチして終わり。う~むそうか。

銀河鉄道の父」というタイトルから銀河鉄道の童話かと思ったら宮沢賢治とその家族、父親の話だった。「銀河鉄道の夜」を書いた宮沢賢治は大正の人、その父親は1874年明治7年2月23日生まれ。実業家で地方政治家。映画が描いた賢治の父は親バカの極みのように幼い賢治を溺愛し、そして家業:質屋の跡取りとして期待していた。そんな父親のもと、賢治は感受性の強い厄介な息子に育っていく。親が期待した一流大学卒で箔をつける事は出来ず、継ぐべき家業は弱い百姓を踏み台にしているという、自身の世界観で父の想いとは離反していく。人生に悩み煩悶、格闘していく。そんな息子が理解出来ない父親、これはいつの世でも起こることだろう。

私の父親は大正元年産まれ。母も同じく大正の生まれ、そして太平洋戦争を体験する。自分には当然、昭和以降の年号は実体だが、親が生まれた大正は遠い時代に思える。きっと今の平成や令和に生まれた人も昭和について同じように感じるのだろう。地続きの時代と言われても、実感が湧かないだろう。

今回の映画で賢治の父親像を初めて知る。良いオヤッさんじゃないか!と言うのが感想だ。明治時代に商売で成功した人物、というと尊大な権力者を思わせるが、子煩悩で分り易い人の印象。賢治の方は親の期待に応えられないジレンマや自分の考えに合わない時代?に理想ばかりが空回りしていたのかな。大正時代という現実世界では叶わない自由や平等の実現、実践に悩んでいたのだろう、と感じました。

そんな賢治の支えになったのが妹のトシ、賢治に童話の作成を続けるよう自分の想いをぶつけます。「銀河鉄道の夜」は漫画でも読んだりしているが、不思議な世界観、多分死後の物語、色々な読み方ができる。話の展開は結局、よく分からないが、場面場面が強い印象を与え、色々な想いを想起させる。賢治の作品は独特のオノマトペ表現やドイツ語などの多用で、当時の先端を思わせる表現だったのかな?と思います。でも実際には生前に評価されることは無かったようです。賢治の没後、草野心平高村光太郎らの尽力によって遺稿の出版から評価が上がっていったとのことでした。

映画の中でその妹「トシ」が結核で亡くなるシーン、確か自分が小学校で習った初めての宮沢賢治の詩「永訣の朝」で「あめゆじゅとてちてけんじゃ」というフレーズと共に覚えていた内容だろうと期待しつつ、どんな場面になるのかを待っていた。何故か「あめゆじゅ・‥」という音は頭の中に深く入り込んでいて、自分の勝手な想像では、幼い瀕死の妹が片言で賢治に語っている、と想像していた。ミゾレの中に飛び出した曲がった鉄砲玉と言う表現に、慌てて何とかしたくて冷たいツララのような物を探していた、と思い込んでいた。映画では庭の松の木に溜まった雪をお椀に受けていた。

小学生だった自分に、忘れられない物を残していた宮沢賢治はやっぱり凄いなあ、と勝手に思っています。

(賢治と宗教)賢治の物語には仏教やキリスト教の教えを想わせる内容が多い。彼の実家は浄土真宗、だが映画の中では日蓮に傾倒して法華経を信心。祖父や妹トシの葬儀では一人ウチワ太鼓を叩き「南無妙法蓮華経」と叫ぶ姿が、賢治の若さ、孤独を表現していたように見えた。自分の実家も浄土真宗、今でも思い出すのは、お寺で母が近所のおばさん達と「なもあみだんぶ」とゆるやかでおだやかに唱和していた事。余り仏教には詳しくないが庶民の教義として親鸞によって広げられた浄土真宗は皆に受け入れやすい教えだと思う。一人、法華経を叫ぶ賢治の姿は他を威嚇するような、そして孤独さを感じた。何故、日蓮の教えに傾倒したかは、描かれていなかったようだが。

宮沢賢治は1896年 明治29年〉8月27日 生 まれ、1933年〈昭和8年〉9月21日)37歳で死去。大正時代は日本に民主主義が入ってきた時代。同時に軍部の台頭により軍国主義が広がっていく不安感を賢治は感じていたかも知れない。自分の理想が実現できないもどかしさ、身近な祖父や特にいちばんの理解者だった妹トシの死に対し何も出来ない非力さ、悲しみがより激しい教義の法華経にのめり込んだ要因かも知れない。

(おまけ)銀河鉄道の夜に出てくる、神秘的な光景の描写はキリスト教の天国や仏教の極楽浄土を思わせる。タイタニックの遭難者(死者)が出てくる部分もあったと思う。今回のタイタニック探検の遭難死、何だかなあ、という思い。タイタニックも当時最新鋭の豪華客船、タイタンも最新?どちらも自然を甘く見た結果かと。

6月22日(木) 雨上がり羽繕いする鴉かな 雨上がりの電線の上で黒い影がモソモソ動いていた、よく見ると鴉の羽繕いのようだ。濡れていると飛ぶのに支障があるのかな。なんだか雨が上がってホッとしている様子。

(桔梗草2)小さな花、上側にクネクネと伸びている。

リンパのこと。若いときから甲状腺機能低下の症状に悩んでいた。このホルモンの分泌が弱いと活発な身体活動が出来にくく、傍から見るとやる気がないと思われがちな病気だ。逆にホルモン出すぎはバセドー氏病になる。

この日、NHKのトリセツという番組でリンパについて特集をしていた。ジムで「リンパピクス」というプログラムをやっている。リンパが甲状腺とどう関連するのか良く知らないが、このリンパピクスで週一リンパの流れを刺激する体操を続けていたら、甲状腺ホルモンの値が安定し薬の量の増減が無くなった、と思っていた。

(桔梗草3)クネクネ伸びた先に花の赤ちゃん?らしき物が。

でも甲状腺ホルモンは脳のコントロールで血液中に分泌される物で、リンパで補強する物ではない様で、リンパ体操が甲状腺の機能を上げる直接の関連は無さそうです。取敢えず体を動かして代謝を良くしたことが間接的に良い影響を与えたのでしょう。リンパは血管とペアで、人の活動を支え細菌やウイルスとも戦うようなので運動でリンパの流れを補助することは良い事だと思いました。まだ何とか動けるうちは続けようかなと思います。

(チチコグサモドキ?)何だかモジャモジャした草、画像検索するとこの名前。母子草とかだと可愛いイメージだが父子草モドキでは番外の草?でも見ていると何だか不憫になった。枯れるまでは頑張れ!父子草。

6月後半になってやっと少しずつ以前に近いパターンで体を動かし始めた。でも残念ながら体力低下を思い知らされ続けている。天命には逆らえないのだから、余り考え込むと旧統一ナンチャラなどに引き込まれるかもだ。近くに沢山生きていた、小さな草達の力強さと潔さを見習わなくては、などと思いました。