解除を緩めたが、5月末から6月にかけて感染がどうなってくるか。ワクチン等が出来るまでは、もう安心という保証は誰も出来ない。今のうちに体制を作るべきだと誰もが思っているが。果たして!?
11日:聖五月 長崎の鐘 青き空
(聖五月、カトリックの聖母月。藤山一郎氏の長崎の鐘を聞く、青空と鐘の音、十字架、原爆。)
生家は浄土真宗、墓は臨済宗のお寺にと節操なき宗教生活?に身を置いているが、追い詰められた気分の時は何かにすがりたい。難しいことは分からないが5月は聖母マリアの月らしい。でも般若心経を唱えては、助けは乞えないだろうなあ、逆に天罰とかで叱られるかも。教会というと浦上天主堂や五島を思い出す。
12日:軽井沢 オオルリ運ぶ 青き風 (軽井沢で見たオオルリ、飛んできた時風が動いた)
6年前、初めて撮影できたオオルリ、青い世界の中でキッと見据える瞳が印象的。その後会えず(涙)
13日:ナミノヒト 住む庭に舞う ナミアゲハ (普通に見るからナミなのか?ちと可愛そう)
▼昼過ぎは カラスアゲハの 陰探し(初夏の日差しは思いのほか強かった)
14日:里山に 雉の高声(こうね)の 響きおり(雉の声、ケ-ンケ-ンと数えている?)
緊急事態39県は解除、残りも地域毎に解除へ動き出している。秋までに第二波の予想もあり。
15日:薔薇の渦 草かんむりと 三つこころ(蕊;しべ、が見えます)
沖縄 1972年5月15日、基地存続のまま施政権の返還。今に繋がる矛盾。
16日:未だ見ず デジタル表示の 時計草 ▼時計草 十字架とクギ 受難とは
散歩中ふと思い出し回り道、やっぱり時計草が咲く時期だった。中南米原産、その特異な蕊を十字架や釘に見立て、キリストの受難の花(Passion flower)と言う名前もあり布教に利用されたとか。Passionに情熱と受難の意味が有るとは、思いもしなかった。形のややこしい花だが名前までややこしい。
17日:窓換気 生徒待つ塾 風五月
(日常はもう戻らないから、新しい日常が必要なのか?)街がまた寂れた感じがする。
18日:さつき空 光州事件 目撃し 1980年5月18日、光州事件勃発(韓国)今はコロナと戦う。隣の国だが、あまり詳しい歴史は知らない。でも今回のコロナ対応は素晴らしく、羨ましい。
19日:柿若葉 オナガの騒ぐ 散歩道
散歩中に聞こえたグエエ、グエエ!の声に慌てて標準レンズで撮影、後で目一杯拡大した一枚。松の枝越しに優美な姿が何とか撮れて一安心。声を聞くとカラスやカササギと同じ仲間だと納得。
▼フランスで思いがけず遭遇した同じ仲間のカササギ、田舎ではカチガラスと呼び、韓国にもいた。西日本ではカササギが、東日本ではオナガが勢力を伸ばしているらしい。カラス類も色々大変だ。
20日:畦奥の 真竹タケノコ やわらかき(知人に貰った真竹の細い筍は柔らかかった)
タケノコと あばら家のある ふるさとよ(住む人が絶えれば家は消えるが、竹山は繁る。)
石垣の割れ目からも花は咲く、人の営みが消えても自然は営みを止めない。人の故郷もいつかは消えていく。記憶もいつかは、自然の営みのなかに取り込まれていくのだろうか。
今、ウイルス感染以外にも色々とこの国の将来に不安を持つような事態が起こっている。
BS放送で歴史上の感染症と政治の関係を話していたが、第一次大戦時にスペイン風邪が流行し、世界情勢にどう影響したか等、今に重なる話が出ていた。感染症で世界が変わるという歴史上の事実に、私達はどう行動すべきかを問う討論で、印象的だったのは日本の古い言葉「人事を尽くして天命を待つ」という態度を国、国民はとるべきでその基本は誠意、という提言。難しいけど、私達の強みはそこであって欲しい。
(夏椿咲く。)